仕入れ担当の森田です。
今日はちょっと難しいテーマということで、立花隆さんを肴に書こうと思います。
作家の立花隆さんがお亡くなりになって早一年になります。
3万冊読み100冊書いた「知の巨人」と称された人は色んなものに興味が尽きなかったそうです。
その立花さんがテーマに選んだもののひとつに臨死体験があります。
人は死ぬときにどんな体験をするのか、あの世は存在するのか。
正解は誰もわからないのですが、世にいわれている臨死体験は死ぬ間際に脳が見せる作用で、そしてあの世も存在しないと立花さんは結論付けられています。
立花さんは自分の死に際して
「死んだらゴミと同じ。だから、戒名も要らない、葬式もしない、お墓も位牌も要らない」
と家族や周囲には伝えていたそうです。
私のような仕事をしていますと、このようなコメントは甚だ悲しいと感じてしまいます。
(写真上)「葬式無用、戒名不要」と遺言に書いた白洲次郎さんのお墓です。
著書「死はこわくない」の中に元検事総長の話が出てきます。
彼は病床で
「死んだらゴミと同じ。あの世もなく意識も残らないだろう」
と奧さんに言います。
この時、奧さんは
「あなたのような冷たい考え方はイヤよ。死んでからも残された私たちを見守ってくれなくてはイヤです」
と返します。
この奥さんの気持はすごく自然で、多くの方がこのように感じられるのではないでしょうか。
これはとても死についてよく表している会話だと思います。
本人はこれでいいと言う。
見送る側はそれはイヤだと言う。
死んだ人がゴミと同じなら、ゴミとして死後のことを主張するのは少し変な気がします。
ゴミでないなら、その主張は聞いてもいい様な気がします。
ご主人をゴミの様に捨てるのは奥さんの自由で、何かしらの弔いをするのも奥さんの自由です。
結局、死とは本人ではなく弔う側に委ねられているものだということになります。
先日、NHKで立花隆さん没後1年の番組がありました。
ご覧になった方も多いと思います。
この番組の最後に立花隆さんの遺骨は樹木葬に眠っていると出てきます。
昨今の樹木葬は、ほぼ小ぶりなお墓です。
ご家族がこの件については故人の言い分を守らずゴミとして扱われていないことにホッとしました。
昔は死んだらどうしてほしいとは言いませんでした。
あとのことは子供に任せるのが当たり前だったからです。
それがここ数年に流行った終活で少し大人がおせっかいになってしまったのかもしれません。
死んだ後どうしてほしいと伝えるのは、残された人を一人前と見なしてないようで、実はとてもおこがましいことなのかもしれません。
あとのことはあとの者に安心して任せてみませんか。