仕入れ担当の森田です。
久しぶりに高野山へ行ってまいりました。
今回の目的は「木下先生の案内による高野山」です。
木下先生は高野山大学で長年にわたり五輪塔や石塔の研究をされています。
以前も京都で講演をお願いしたことがあり、その時の話もとても面白かったです。
今回は現地で直接解説が聞けるということで、ワクワクして行ってまいりました。
【木下浩良先生の紹介】清浄心院 高野山文化歴史研究所のホームページより引用
高野山大学総合学術機構元課長、高野山大学密教文化研究所受託研究員。日本山岳修験学会評議員、九度山町文化財保護審議会委員・日本遺産女人高野調査委員。福岡県柳川市生まれ。1983年、高野山大学文学部人文学科国史学専攻卒業後、高野山大学職員に。柳田國男の孫弟子である高野山大学名誉教授の日野西眞定師に師事。2021年、高野山大学を定年退職し、現在は研究活動に専念している。専門は仏教考古学・高野山史。高野山の歴史にまつわる著書を多数出版。NHK番組「ブラタモリ」では高野山の案内役を務めた。
11月17日の13:00に南海橋本駅に集合しました。
よりによって冬型の気圧配置です。
この時期なのに真冬用のダウンジャケットを着て、ネックウォーマーをし、いつもより多めに着込んでいきました。
にも関わらず、その準備を上回る寒波、「もっと着込んでおけばよかった」と後悔しました。
スタートしてすぐに雨が降り始めます。
最初の目的地は女人高野と言われる慈尊院です。
高野山も元々は女人禁制の山でした。
ここまでは女性が訪れることができたとされています。
まずは入り口にある板碑です。鎌倉期のもの。
もう少し大きなものだったと推測されます。
こうして少し彫って文字の笠になっているだけで梵字はしっかり残っています。
高野山にはこのような町石が麓から山頂に向かって建っています。
こちらは180町と彫ってあります。
ここがスタートで一番上に1町があります。
これも鎌倉時代の作品です。上部の五輪塔の形状はとても美しいものでした。
さて次の目的地は丹生都比売神社(うにつひめじんじゃ)です。
まずは全体のイメージがこちらです。
こちらも世界遺産になっている高野山入り口の神社です。
元々は神仏習合であったため、この中に仏教的なものもあったようですが、いまでは写真の地図の左上の方に追いやられています。
ちなみに川は結界の意味があります。あの世とこの世ですね。
この石仏群のなかで私が気に入ったのはこちらです。
んーーカッコいいですね~
丸く梵字で書いてありますが光明真言なのでしょう。
おんあぼきゃ~ べいろしゃのう~・・・どっち向きに読めるのでしょう?
大きさも2m以上あり迫力があります。
何気なくある祠ですが、扉には蓮の花が浮かしで彫られています。
ひとつひとつが丁寧な仕事がされています。
このあとバスで移動しながら、標高は少しずつ上っていき、山頂付近には15:00に到着しました。
このときの気温は1℃・・・。
周りは雪景色です。
スニーカーには水分が染み込みます。
長靴にしておけばよかったと思いつつ、目的の五輪塔へどんどん進んでいきます。
つづきは次回に!