仕入れ担当の森田です。
前回もお話しました高野山での続きです。
何だかんだ言いましても、五輪塔も含めまして私たちが見るものはお墓です。
お墓は誰かの供養のため、安らかにと建てられるものです。
その考えが反映されているものは、見ていて美しいと思います。
例えばこちら。
五輪塔を胸に抱いている仏像です。
供養の心が伝わってきそうです。
こちらは丸い五輪塔。
それなりの年代のものです。
旋盤などがなかった時代、八角形から円形へと作っていったのでしょう。
とても凛としていました。
こちらは町石です。
前回にも180町を紹介しましたが、こちらは17町と彫ってあります。
鎌倉時代のものですが、いい字がしっかり彫ってあります。
このあと、いよいよ奥の院に入っていきます。
広大な墓地には数万基の墓石が建っています。
その雰囲気を少しだけでもご覧ください。
さて高野山には名だたる戦国武将のお墓があります。
例えばこちらは伊達政宗のお墓です。
写真の角度があまり良くないので見えづらいですが、正面には立派な鳥居が建っています。
周囲の柱は四十九院といって各菩提で囲まれています。
大きくて立派なお墓は権力の象徴です。
本山に立派なお墓を建てたいという願望もあったことでしょう。
しかしそれよりも大事なことは、これらのお墓は各藩の公共事業だったということです。
参勤交代同様に、建墓でも藩の予算を使う必要があって力を削がれていったのでしょう。
こちらが高野山で一番大きなお墓です。
徳川秀忠夫人のお墓です。
その高さは6メートル。
どうやって建てたのでしょうか!
ちなみに巨大なお墓のほとんどは中が空洞になっています。
これはたまたま崩してあった五輪塔の一部です。
こんな風にして中はキレイに取ってあります。
さて途中にこんなところがありました。
数年前の台風で大木が倒れたようです。
さすがに樹齢何百年の木が倒れると大変です。
さて最後に2つのお墓をご紹介。
ひとつは法然上人のお墓です。
言わずとしれた浄土宗の開祖です。
法然上人は高野山に縁があったようで3年ほどおられたらしいです。
もうひとつは親鸞聖人のお墓です。
浄土真宗の開祖ですね。
木の祠の中に小さい五輪塔です。
親鸞聖人のお墓は3ヶ所あると言われています。
高野山にあるこの三角五輪塔はとても有名です。
ご本人は自分の遺体は川に流すべしとおっしゃっていますが、
あとの供養をするものはお墓に手を合わせたかったのかもしれません。
奥の院にはまだまだ紹介しきれないくらいのお墓があります。
現地の空気の中で見ると感動もひとしおです。