弊社には葬儀会館があります。
そこでいつも葬儀をしておりますが、私がさまざまな葬儀を見ている中では、普通の方が葬送という儀式をないがしろにしているようには全く見えません。
以前よりも、近親者やご近所の方のお別れの仕方については、心のこもったお声がけなどをよく目にします。
こんな光景とは対照的に、よくワイドショーなどで見かける宗教学者が「ゼロ葬」を提唱しています。
「火葬場で拾骨をしなければ勝手に処理してくれるから、遺骨の心配もいらず、あとは何もお金はかからない」だそうです。
そして「高齢者の死は大往生、その死者のために遺族が功徳を積む必要はない」「親子はギブアンドテイク、親が子に受け渡すものが少なくなり恩が減った分、子が孝行する必要もない」というようなことが書かれています。
こんなことを言っている宗教学者がいるのは仕方ない(言論の自由なので)としても、その意見をもてはやすように取り上げるテレビやマスコミが残念でなりません。
さて、今から22万年前に古代ネアンデルタール人は遺体を埋葬していました。
古代人だから知能が低かったかといえば、そうではなく、むしろ今の人間よりも発達していたのではないかとも考えられています。
その根拠として脳の大きさがあります。現代人の脳の容積は1450cc、ネアンデルタール人は1600ccで、人類史上もっとも大きな脳を持っていたようです。その彼らが埋葬を始め、献花をし、石を置いていました。彼らの頭の中ではどのように理解されていたのでしょう。とても興味があります。
世界中でこれに近い習慣は累々と続いています。少なくとも死者を粗末に扱う民俗を私は聞いたことがありません。
一昨年から昨年にかけて「墓じまい」が急速に増えました。テレビの影響が大きかったのだと思いますが、今年に入りその数が減少しているようです。
もちろん仕方なく墓を撤去しなければならない方もおられますが、多くの人が「何かおかしいぞ」とお感じになったのかもしれません。
冒頭に葬儀のお話をしましたが、納骨の際も同様に感じます。凛とした空気の中で、しめやかに納骨されます。時には小さなお子さんも一緒になってされます。
近年、納骨をされている方は、昔よりももっと儀式を大切にされているように見受けられます。葬送のカタチは多様化しているといわれますが、送る気持ちは同じだと私は思います。